Company会社案内

スタッフ紹介

レジェンド 曽我朋美

創業以来、14年もの長きに渡り、多くの留学生を支えてくれた弊社のレジェンド・曽我朋美をご紹介いたします。

カナダ留学ならピュアカナダ

カナダ留学をサポート

0120-391210
曽我朋美という人物

曽我朋美は、
イギリス短期留学
カナダ長期留学
カナダワーキングホリデー
オーストラリアワーキングホリデー
など、海外での経験が誰よりも豊富な女性です。

また人懐っこい笑顔と、人の痛みや喜びを敏感に感じ取るきめ細やかさで、多くの留学生のお力になれたのではないかと思います。

そんな彼女とピュアカナダとのこれまでの14年10カ月の歩みを、尊敬の念を込めてここに記したいと思います。

出会い

1999年2月、
私(小谷順士)と妻(小谷比呂美)が、ピュアカナダを創業する準備のためバンクーバーに降り立ち、ウィリアムと共に準備をスタートした時のことでした。

朋美とは、バンクーバーで開催されていた「日本語で学ぼう、ウィンドウズ&インターネット」という講座で、参加者同士として出会いました。
当時、「ウィンドウズ(Windows)って何?」「メールって何?」「インターネットって何?」ということすら分からない時代、今となっては信じられないほどアナログの時代に出会ったのが彼女でした。
しかし、講座はあっという間に終わり、その後、細々と連絡を取り合う仲でした。

ピュアカナダ創業

その後、1999年9月9日、日本とカナダで同時に創業。
ピュアカナダの歴史が始まりました。
この時のメンバーは、小谷順士(代表)、小谷比呂美、そしてウィリアム・ウッドの3名で、そこに朋美の姿はまだありませんでした。

ピュアカナダへ参加

2002年5月、バンクーバーのお隣・バーナビー市で日本人留学生サポートをしていたウィリアムのアシスタントという形で、朋美がピュアカナダファミリーに加わってくれました。

ピュアカナダが始まってから3年弱の時期、まだまだ手探りではありましたが、朋美の存在のおかげでウィリアムも大いに助けられたと話していました。

ウィリアムと朋美が現地で留学中の皆さんに英語&日本語でサポートさせていただき、「とても助けられた」など多くの喜びのお声を頂きました。

ウィリアムとの突然の別れ

2003年1月24日、
朋美からいつもより少し早めのスカイプのコール。
弊社では、日本時間の朝、カナダ時間の夕方に毎日ミーティングを行っています。
「あれっ、今日は早いな~」と言いながら応答。
スカイプの向こうでは、朋美が泣きながら、「ウィリアムが急死した」という知らせを受け取ったとのこと。
我々3人、茫然とし、突然のウィリアムとの別れに涙が止まりませんでした。

ウィリアムの葬儀とその後

ウィリアムの死去から1週間後に葬儀が行われました。
小谷順士は葬儀参列のためバンクーバーへ。
たくさんの涙を流しました。
朋美と共に、教会で、人生の恩人であるウィリアムに別れを告げました。

あの日から、朋美がピュアカナダ・バンクーバーオフィスのディレクターとして、2017年3月まで、合計14年10カ月を勤め上げてくれました。

振り返ってみると、
2006年 初の団体である龍谷大学様のグループ受け入れ
2007年 プリンスエドワード島へのジュニアキャンプ立ち上げ。
2008年 龍谷大学様の長期留学生受け入れ開始
2009年 ヨガ留学開始
2010年 日星高校様の姉妹校プログラム開始
2012年 龍谷大学様へのチャイナタウンボランティア参加開始
2015年 過去のお客様とオーロラツアー
2017年 関西外国語大学様のインターンシップ開始

など、主だったものだけでも、本当にたくさんのチャレンジをしてきました。(ここには記載のない、失敗したこともたくさんあります笑)
どれ一つをとっても、朋美の存在なしには実現しなかったチャレンジばかりであったことを、今、改めて感じています。

14年10カ月という時間
共に笑い、共に泣き、長い距離を一緒に歩んできました。

2017年3月某日、
朋美がピュアカナダを離れる数日前、小谷順士はバンクーバーにいました。
小谷順士が帰国する日の夜、朋美と、新スタッフの弥絵子と3人で食事へ出かけました。
「朋美とカナダで会うのはこれが最後」、そう思うと、胸の奥に言葉では言い表せない感情が沸き上がってきました。

お互い、ちょっとだけ喧嘩もあったし、
お互い、言いたくても言えなかった文句もあったし、
お互い、たくさんの“大爆笑”もあったし、
お互い、たくさんの“ごめんなさい”もあったし、、、、

最後の瞬間、弥絵子がトイレに立った時、朋美に対してやっと絞り出すことができたのはたった一言、
少し、声が震えながら、
「ありがとう」
でした。

お店を出て、別れる瞬間、
朋美のこれからの新しい人生に向けてエールを送りながら、
出会って18年で初めてギュッとハグして別れました。

朋美は、我々にとって戦友であり、親友であり、家族です。
ありがとう。

カナダオフィス代表Tomomiって、どんな人?

「Tomomiさんのおかげで、安心して留学できました」と、多くの感謝状をいただいています!

私がカナダに初めて降り立ってから、かれこれ14年が経とうとしています。

そのときも住んだのはバンクーバーでしたが、

この街に流れるゆったりとした時間、広々とした街並み、優しい人々、

全てが大好きで、ただただ「いつかこの街に永住したい」と願いつつ、

約1年留学したあと日本に帰国しました。

* * * * * * * * * *

なぜ留学したかというと、「私は英語が好きだ」と小さい頃から思い込んでいたから。(笑)

小学生のときに持っていた星占いの本に、“ふたご座は英語を勉強するのに向いている”

とあって、それを信じきっていたというわけなのです。(ホントにそれだけ!)

実際には、別に他の教科より格段に英語ができたわけではありませんでした。

それでも、英語を勉強すべきだという気持ちはずっとあったらしく、そういえば

今思い出しても中学の頃から留学に関する本を読んでいたような…。

(中学時代の友人達は、そんな様子を覚えているかもしれません。)

なぜカナダだったかは、当時通っていた短大のクラスメートに「カナダに行く」

という子がいたから、というこれまた非常に単純なものでした。

そのときオーストラリアを候補に挙げていて、カナダはなぜか選択肢に入って

いなかったんです。

で、友人からカナダと聞いて、「あ、カナダという手もあるか」と思ったと。

その頃、留学センターというのは私の中では全く知らない存在だったので、

留学本に載っていたバンクーバーの語学学校に片っ端から連絡を取って、

一番早くパンフレットを送ってきた学校に決めました。

* * * * * * * * * *

そうして降り立ったカナダ、本当に右も左も分からずに、ホームステイ先から

出かけるのもひと苦労。

最初はバスの乗り方がわからなかったので、ひたすら近所を歩き回っていました。

留学生なら誰でも一度はするであろう失敗は、とにかく全てやらかしたと思います。

でも、ある程度英語に不自由しなくなった今よりも、英語が分からないなりに

一生懸命毎日を過ごしていたあの頃の出来事のほうが、

よっぽど心に刻まれ、一生忘れられないものになっているのは確かです。

その後日本に帰って就職し、貯金をして再びワーキングホリデーでカナダへ。

それからオーストラリアにも住む機会があったけれど、最終的にとうとうカナダに移住。

初めてカナダに渡って永住したいと思ってから10年がかりでしたが、夢は実現しました。

今でもまだ時々、憧れた街にいるのだなあと思うと、通りを歩いていても

足元がフワフワした感覚になったりします。(笑)

* * * * * * * * * *

現在、留学やワーキングホリデーでカナダに降り立つ皆さんのサポートを

させていただく中で、当時の私と同じような夢を持った方とたくさんお会いします。

私からは大それたアドバイスはできないのですが、やってよかったと思うのは、

自分が直感的にコレ!と思ったものは即行動に移してきたこと。

そして月並みですが、やっぱりよい人たちと出会ったこと。

その全てが、今に結びついていると言えます。

無駄だったと思うものはひとつもありません。

10年来の夢が叶ってしまった今、次なる目標を探し中です。

カナダで初めてハマってしまったヨガ。

それを通して、今またたくさんの人との出会いがあります。

ヨガを通してじっくり自分を見つめることが出来はじめ、本当に自分は

何をしていきたいのか、少しずつだけど分かってきたような。

こうやってみると、将来どんな仕事に就きたいか、何をしたいかを

考える留学生の皆さんと、ほとんど変わらないんですね。

ピュアカナダをご利用くださる学生さんとは、ぜひ個人的にも

こんなお話もしていけたらと思っています。

皆さんにカナダでお会いできるのを楽しみにしています。

さいごに、度々カナダ渡航を繰り返していた当時の私を、

何も言わずに見守ってくれた両親には感謝の意を。

まだまだ力不足の私を、いつも大いに励まし支えてくれる

ピュアカナダ大阪オフィスの小谷には尊敬の念を。

ピュアカナダへのお問合せ

ピュアカナダへのお問合せ

プログラムに関するお問い合わせはこちら

フェイスブックのページ
インスタグラムのページ
TOP