この方の留学スタイル
州・都市名 | ブリティッシュコロンビア州(BC州) ラングレー(ラングレー) |
---|---|
留学タイプ | 高校卒業留学 |
期間 | 長期(6ヶ月以上) |
州・都市名 | ブリティッシュコロンビア州(BC州) ラングレー(ラングレー) |
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留学タイプ | 高校卒業留学 |
期間 | 長期(6ヶ月以上) |
カナダ高校留学 語学学校時代
カナダ高校留学 プロム
カナダ高校留学 ホストブラザーと
私の母はメーカーの国際部で働いている為、海外出張や海外からのお客さんと関わる事が多い。幼少期に母の会社を訪れる機会が多々あったのだが私はこの時間が大嫌いだった。母の同僚の多くは海外の方だったから私は彼らが怖かった。彼らの言葉も理解できないし肌の色も顔の凹凸も何もかもが私と違う。田舎育ちの私は未知の生物に出会ったような気分になり毎回のように泣いてしまう。中学3年生の夏、母の会社を久しぶりに訪れる機会があり7年ぶりにあのトラウマの地へ足を踏み入れる事になった。緊張と不安から汗で濡れた手でドアノブを引く。目に入ったのはあの時よりもたくさんの海外出身の社員さん方。でも不思議と怖くない。何でだろう。笑顔で社員さんと談笑をする母を見て私も仲間に入りたい。そんな気持ちさえ湧いてきている。数秒前まではあんなに冷や汗をかいていたのにあの笑顔の理由を知りたい、どんな話をしているのか理解したい、あの輪に入りたい。そんな気持ちで胸がいっぱいになっている。国境や人種を超えて会話をするってどんな感じなんだろう?早く知りたい、未知の世界に飛び込みたい、海外に行って自分の目で耳で確かめよう。
私の場合は全く不安はありませんでした。周囲の方達に不思議がられる程にウキウキしかなかったです。”新しい場所・人に出会える”という期待感で胸がいっぱいでした。出発の1ヶ月ほど前にはパッキングはほとんど完了していました。母には「気が早い、まだ使うものあるでしょ!」と注意された覚えがあります。それくらいに早くカナダに行きたくて行きたくてウズウズしていました。
私はカナダの高校へ入学。海外旅行にも行ったことのない中、新しい挑戦に胸の高鳴りを抑えきれないままたった一人で飛行機に乗り込んだ。しかしその期待感はすぐに消え去る。私は「差別」の壁に直面。教室で騒ぎ天井に穴を開けた男の子が「あの留学生が修理費出してくれるから」と鼻で笑いながら私へと視線をむける。
学校からの帰り道、白人男子生徒2人が笑いながら私を目掛けてバナナを投げてくる。「イエローモンキーは出ていけ」そう言われた気がした。
初めての経験で、私の心は疲弊していた。誰にも会いたくない、喋りたくない
学校の時間以外は部屋に引きこもっていた。国境や人種を超えるなんて夢物語だったのかな。そんな時、1人の友達から「自分の弱点をさらけ出せばいいのに」
と言われた。恥ずかしい。また笑われる。過去の経験が私から勇気を奪ってく
でもやるしかない。行動を起こさなければ何も変わらない。
授業初日、私は40人のクラスメイトの前に立ち、日本からの留学生で英語はまだカタコトであること、授業を理解できないこともあること、だから助けが欲しいこと
赤裸々に話をした。言葉を発しながら体が震えているのを感じる。今の言葉もみんなには伝わらないかも。そんな不安がよぎる。私の不安をかき消すように1人の生徒が「授業後に一緒に復習しよう」と声をかけてくれる。そこに続くように先生がクラスメイト全員にゆっくり喋るように提案してくれた。
私が思っていた国境や人種、言語、文化の壁が1つの勇気で簡単に倒れた。私が目標としていた“国境や人種、言語、文化を超えて繋がりたい”はちゃんとここにある。お互いが違いを尊重し合い、欠けを補い合うことでつまらなかった留学生活が
幸せなものとなった。この経験から“国境や人種、言語、文化を超えて幸せの輪を広げる”それが私の大きな夢となった。
とにかく一日を生き抜くことに必死だった気がします。英語が理解できず学校でもホストファミリーの元でも常に気を張っていないといけないことでストレスが溜まりまくってしまったり、学校で友達ができずに悩んでいたり。初めて1人で行ったカナダの銀行では何を言っているのか分からないと追い返された事もありました。
最初の頃は授業が理解できずに焦っていました。とにかく先生や友達に質問しまくっていました。幸いなことに私のホストママが学校の先生だったので家で教えてもらったことも多々あります。だんだんと英語の授業に慣れていきました。最後のセメスターではAPという大学の単位を取得する授業を受けるまでになりました。もちろん勉強は自主的にたくさんしましたが自分の力だけでは卒業できていなかったと思います。私は周りの人にかなり力を借りました。
面白かった授業はMrs. RossのSocial Studies です。大体15人くらいのクラスだったと思います。内容は歴史や現代社会などです。教科書は一応ありましたがあまり使わずにみんなが興味を持った内容をより深く掘っていく感じでした。例えば南京戦争について学んでる時は中国側と日本側に分かれてディベートしました。毎週課題で時事問題を調べて発表もありました。より当事者意識を持って取り組める授業でした。
友達作りには少し苦労しました。留学当初でも挨拶をする知り合いはたくさんいました。いわゆる“よっ友”です。「Hello」と言葉は交わすけど、それだけ。そこから放課後に遊ぶような友達ができるまでは時間がかかりました。初めての友達はミシェルという子で体育の授業でのプレゼンテーションがきっかけでした。同じグループになり一緒に準備をしているうちに仲良くなりました。その子の”いつめん(いつも一緒にいるメンバー)”に加えてもらいだんだんと友達の輪が広がっていきました。その子たちとは今でも連絡を取っています。
カナダの高校を卒業してから会った時のことが忘れらせません。アメリカの大学に進学後の長期休み期間にミシェルとナリーと会いました。二人と将来のことや恋愛話を英語でできること・パーソナルな相談をしてくれたこと・卒業しても会ってくれること色々な感情が入り混じってとても感動したことを覚えています!
ホストファミリーはママ・パパ・子供二人の4人でした。ホストのことはエイドリアン(ママ)、ジェームズ(パパ)、ジャレッド(長男)、ミカエラ(長女)と呼んでいました。私のホストファミリーは留学生を受け入れるのが初めてだったので最初はお互いに手探り状態で接していました。
最初のうちは苦手な食べ物もホストママに言葉では伝えずにあまり好きそうじゃない顔(しかめっ面のような)をしてアピールしていました。確かオートミールだったと思います。ですがだんだんとそれでは気づいてくれないことに気づいてきました。そしてあまりそれ好きじゃないと伝えました。簡単なことのように思えるかもしれないですが私には結構勇気のいることでした。家族や仲のいい友達には言えますがまだ会ったばかりのホストには気を使っている部分があったからです。あとは好意で作ってくれているものを否定してしまうのは失礼かなという思いが強かったです。
ファミリーと仲良く過ごすため私が何より気をつけたのは、思ったことをはっきり伝えることです。上記の例のように日本では“察する”ことが一つの礼儀ですがカナダでは察してなどくれません。なのでとにかくなんでも言葉にしていました。そのおかげで打ち解けられた気がします。カナダで過ごす最終日にホストママからもらった手紙には「あなたは私の娘で、妹でもある最高の家族」と書いてありました。その手紙は今でも大切に持っています。卒業後もホストファミリーとは交流を続けています。
私はカナダ高校留学を入口として日本→カナダ→アメリカとドンドン成長していけたと思います。出発前はどうあれきっと誰にも壁は訪れるのだと思いますが来れられない壁はないと思います。アメリカではGender and Diversity Studiesが私の専攻でした。カナダで差別経験も受けたことがきっかけで人種やダイバーシティについて興味を持ちました。どうやったら差別がなくなるのかなどを学びたくてこの学部を選びました。心理学や老人学などもこの学部の領域です!
私は留学前に全く不安がありませんでした。とにかく新しい場所に、人に出会える事への期待感しかなく、少しでも早くカナダに行きたい!と毎日カレンダーを見ていました。しかしいざ学校が始まるとあのワクワク感はどこに行ってしまったんだ!と自分でも不思議になる程に落ち込む事ばかりでした。留学開始当初はとにかく一日を生き抜くことに必死だった気がします。
このままでは留学生活が苦しいもので終わってしまう!と思った私は、とにかく「他力」を有り難く使いまくりました。ホストファミリーにはたくさん悩み事を聞いてもらい、先生にはマンツーマンで居残り勉強に付き合ってもらい、友達には毎授業後に復習に付き合ってもらいました。あげ出したらキリが無いのですが私は周りの人にできるだけ頼りました。
それって逃げじゃないの?と思う方もいるかもしれませんが私はそうは思いません“自分でどうしようもできないことは周りの人たちの力を借りる”それが留学を成功させる為に必要な事だと私は思うのです。みんな“欠けている部分”を持っていて自分一人でできる事なんてたかが知れています。ましてや異国の地・カナダでは尚更です。私は周りに頼りまくった結果、英語を話す機会が増えて少しずつ英語力も上がっていきましたし新たな夢を持つこともできました。
今、留学をしている人もそうで無い人も「他力を使うことで可能性が広がる」そんな事言っている人がいたなと頭の片隅に置いておいて頂けたら嬉しいなと思います。留学がない私の人生は考えられません。どうか迷われている方がいらっしゃったら是非思い切って留学を実現されることをおすすめします!