企業理念
留学エージェントである私たちは、お客様の出発前のお手続きから留学中のサポートまで、カナダ留学に関わるサービスを幅広く提供していますが、それ以上に「成長と自信を提供する会社であること」を経営理念として営業しています。
それは、弊社代表の小谷順士が「幸せな人生を歩んでいくためには“成長と自信”が大切だ」と信じているからです。
カナダ専門の留学エージェントとして1999年に創業したピュアカナダ。
日本とカナダの両オフィスでお客様のカナダ留学を全力でサポートします。
留学エージェントである私たちは、お客様の出発前のお手続きから留学中のサポートまで、カナダ留学に関わるサービスを幅広く提供していますが、それ以上に「成長と自信を提供する会社であること」を経営理念として営業しています。
それは、弊社代表の小谷順士が「幸せな人生を歩んでいくためには“成長と自信”が大切だ」と信じているからです。
商号 | 有限会社ピュアネットワーク |
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屋号 | ピュアカナダ留学センター |
資本金 | 10,000,000円 |
設立 | 1999年9月9日9時9分9秒(法人設立は2005年4月18日) |
本社 | 〒536-0016 大阪市城東区蒲生1-1-13 TEL:06-6933-3030 / FAX:06-6933-3063 |
カナダオフィス | #1010-409 Granville Street, Vancouver BC V6C1T2 Canada TEL:1-604-565-3550 |
代表者 | 小谷 順士 |
カナダオフィス代表 | 塚田 亮子 |
事業内容 | 1. 留学手続き代行 2. 旅行業法に基づく旅行業 3. 損害保険代理業 4. 国内での英語プログラム運営 5. クレジットカード、海外電話サービス、外貨両替などの紹介 6. 前各号に付帯する一切の事業 |
旅行業登録番号 | 大阪府知事登録旅行業3-2325号 有効期間2015年5月23日―2020年5月22日 旅行業務取扱管理者 小谷 順士 |
ピュアカナダ留学センターには歴代会社ロゴが2つあります。
1つ目は創業時に弊社代表が自身で作成したもの、そして現在も使用している2代目は創業10周年を記念して、代表の友人のデザイナーが作成してくれたものです。
いずれのロゴにも同じ願いが込められています。
ピュアカナダの願いを込めた旧ロゴ
ピュアカナダの願いを込めた新ロゴ
ロゴ内に模った円は、[人の輪] [人との繋がり] [ご縁] [ゼロ]を表しています。
私たちは留学を通して国境、文化、宗教、人種を超えた先に愛情や友情が生まれると考えています。また、留学を実現するには渡航する本人も日本で応援する家族も、期待とともに未知の不安を乗り越えなければなりません。つまり、“ゼロ”の状態からの一歩目を踏み出すということです。
弊社代表の小谷は“ゼロ”を超えた一歩目が人生にもたらすプラスの影響は計り知れないものだと考えています。このロゴ内の円にはそんな願いが込められています。
PURE Canadaの社名の下に引かれたラインは、[地平線] [水平線]を表しています。
人は誰もが人生という大海原へ漕ぎだした一艘の小船のようなものではないでしょうか。この[水平線]には、「私達ピュアカナダのスタッフだけでなく、関わってくださる全ての方と一緒に、時には力強くのぼる太陽のように、ゼロ地点から上を向いて明るく向上、成長したい。そして時には海から静かにのぼる月のように、優しい光で進むべき方向を指し示せる存在でありたい」という願いを込めています。
目的や目標を目指して、精一杯頑張る皆様を応援して参ります。
どちらのロゴにも大々的にあしらわれているのが、カナダの象徴でもあるメープルリーフです。
カナダという国は、弊社代表の人生が大きく変わった場所であり、彼が恩人であるウィリアム・ウッドと出会った場所であり、様々な出会いを届けてくれた場所であり、そして私たちが多くの人々にご紹介している場所です。
カナダはお客様にとって素晴らしい出会いや気づき、経験、成長などのたくさんのことを得ていただける場所だと信じています。様々な人種や文化が共存し、お互いの違いを尊重して平和に愛し合うカナダでの生活は、あなたに何を教えてくれるでしょうか。
カナダがあなたの人生にとって、決して忘れられない場所となることを願い、この国の象徴であるメープルリーフを取り入れています。
有限会社ピュアネットワーク 代表取締役
カナダ政府観光局認定カナダスペシャリスト
小谷 順士
大学卒業後に人生初海外としてカナダでワーキングホリデーを経験。 留学会社の存在を知らず、特に準備をせずに渡航したため現地で滞在先に困っているところを偶然路上で出会った見ず知らずのカナダ人に助けられる。その後約1年カナダに滞在し、最後にカナダ全土を車で旅する。1年間の生活の中でカナダ人の温かさや、国としての魅力、そして冒頭で救ってくれた恩人の言葉に感動し、「カナダを舞台にして自分が経験したような出会いや感動の機会をたくさんの日本の若者たちにも提供したい」という想いで1999年にピュアカナダを創業。
留学サポートやサービスは形ある商品として残るものではないが、“留学を通じて「成長と自信」をお客様に提供することがこの仕事の本質である”と考え、経営理念として掲げる。
お客様に満足いただける留学プランにするため、学校は提案資料に載せる前に必ず訪問するというポリシーを掲げ、20年以上地道な訪問活動を続けた結果、訪問数は350校以上、提携校数はカナダ全土で100校を超える。
自身も実際に長男をカナダ高校留学に送り出した経験があり、子どもを送り出す親の気持ちがわかる留学カウンセラーとして不安に寄り添う姿勢が人気を集める。
留学斡旋事業のほか、留学の素晴らしさや若いうちに海外を自分の目で見ることの大切さを伝えるために国内の高校や大学にて定期的に講演も行う。
Webメディアやラジオなどのメディア掲載も多数獲得。
ドッグフード会社に1年2ヶ月と大工を半年経験。
留学とは全く関係のない業界で社会経験を積む
カナダスペシャリスト資格保有者の中でカナダ留学を専業としているのは日本で1人だけ
まだネットも携帯電話も普及していなかった1995年。海外経験・英語力・知り合いはいずれもゼロ、当時留学会社の存在も知らなかった僕は滞在先も学校も決まっていない状態でリュックだけ背負ってバンクーバー空港に降り立ちました。初めて乗ったタクシーに騙されながらようやくユースホステルに辿り着いたものの、時差ぼけに苦しみ、誰とも会話が成り立たないことに落ち込みました。「自分が今いる場所さえもよく分からない」と途方に暮れながら3日間を過ごしましたが「何のためにカナダまで来たんだ」と自分を奮い立たせ「この道を歩いてきた3番目の人に話しかけよう」と決意しました。
3番目に歩いてきたのは黒い犬を連れたカナダ人のおじさんでした。ドキドキと心臓が高鳴る中、「エクスキューズミィ」と声をかけると、親切なおじさんは立ち止まって僕の言葉に耳を傾けてくれました。しかし「今日は用事があるからすぐに行かなくちゃいけない。明日は休日だからよかったら電話をしてきなさい」と言ってくれたような気がしました。
翌朝、ドキドキしながらおじさんがくれた電話番号に電話をかけました。おじさんは僕を覚えていてくれて、会う約束をすると丸1日バンクーバー観光に連れていってくれました。この時は楽しかったというよりも海外で初めて人との繋がりができたことに感動しました。
この日の終わりに、滞在先を聞かれました。ユースホステルの予約は3日間しか取っていなかったので、その日の夜から滞在先がないことを伝えると驚いた様子で、しばらく考えてから「仕方ない、うちに来るか?」と言ってくれました。道端に転がっていた石ころのような僕の命を拾ってくれた見知らぬおじさん。彼は名前をウィリアムといい、「ビルと呼んでくれ」と続けました。
ビルの家で過ごした日々は全てが新鮮で、下手な英語でも必死に食らいつきました。たくさん笑ってたくさん怒りました。そして2週間が経過した頃、彼の協力で語学学校とホストファミリーが見つかったので、ビルの運転する車に乗って学校へ行き、お礼を伝えて握手を交わし、そこで別れました。
ビルと別れてから約1年。2ヶ月間の語学学校とその後の滞在を無事に修了した僕は「人生最大のチャレンジに」と現地で車を購入してカナダ横断の旅をしました。素晴らしい仲間に出会い、かけがえのない経験をしました。人として少し成長して、自分に僅かながらも自信を持てた気がしていました。しかし、ふと1年のカナダ生活を振り返った時、命の恩人であるビルにあの日から一度も連絡をしていないことに気がつきました。「この恩知らずが」と怒鳴られても仕方がないと感じつつも「お礼を伝えなくては」と決意した僕は心臓の鼓動を抑えられないままビルに電話を掛けました。電話の向こうで、ビルは怒ることなく「じゅんじ久しぶりじゃないか。元気にしてたかい?」と優しく声をかけてくれました。その後、ビルの家を訪ねてしっかりと心からのお礼を伝えた僕は、心置きなくカナダでの生活を終えました。
日本に帰国して半年が経過したある日、「日本に行く。会おう。」とビルからメールが届きました。「恩人に恩返しができる」と思い、僕は京都の旅館を予約して彼を迎えました。思い出話に花が咲き、日本酒を飲みながら食事を楽しんでいると、ふとビルが真剣な表情になり、こう続けました。
「日本に来たのはじゅんじに伝えたいことがあるからなんだ。僕は長年心の病を持つ人のカウンセラーをしてきた。あの日じゅんじと出会って、感情に素直に怒ったり笑ったりするピュアな君の生き方に触れてすごく感動したんだ。君が去った後、日本の若者を3人ホームステイとして受入れた。男の子も女の子も皆素晴らしい若者ばかりだった。だから、日本の若者にカナダでの経験を通して成長してもらえる留学会社を作ろうと思っているんだ。全てはじゅんじのおかげ。じゅんじは僕の人生の恩人なんだ。」思いもよらない言葉に涙が溢れました。そして僕はそこで3年後に共に会社を設立することを約束しました。
約束の3年が経過した1999年9月9日9時9分9秒。僕はビルと共にカナダと日本で「ピュアカナダ留学センター」を創業しました。
創業から4年が経過した2003年、ピュアカナダの創業パートナーのウィリアム(ビル)は帰らぬ人となりました。しかし新しいスタッフにビルの精神はしっかりと引き継がれ、彼なき今もピュアカナダはお客様に『ピュアカナダに任せてよかった、ありがとう』といっていただける会社であることを目標に経営を続けています。
思えば人生初海外だったあの時、勇気を出して海を渡っていなければ、最初に乗ったタクシーに騙されていなければ、あの道を歩いてきた3人目の人に声をかけていなければ、それがビルでなかったら。考え始めたらキリがないですが、どの1つが欠けていても今の僕の人生、そして現在のピュアカナダはありません。
はじまりはあの日のカナダ。
ピュアカナダのスタッフとして“皆様の留学”と“その先の人生”を応援させていただく愛に溢れる弊社自慢のスタッフ
そして過去に一員として活躍してくれていたメンバーをご紹介します。