ピュアカナダ
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Junji Kotani

会社案内
小谷順士

Junji Kotani

文章の長いページですが、ぜひ最後まで読んでくださいね。
大変多くの方に共感いただいております。
本1冊できるくらいの内容を、精一杯短くまとめました・・・

小谷順士という男は誰?

はじめましてっ。
ピュアカナダ留学センター代表の小谷順士(こたにじゅんじ)です。
多くの留学情報サイトの中からピュアカナダにお越しいただきありがとうございます。
1972年生まれ、お客様は私のことを『老けている』という方もあれば、『超若いっ』とおっしゃる方もあります。自分としては『ほどよく若い』と思っていますが、これはお客様の受け止め方で異なるようです。ぜひ、あなた自身が判断してください(笑)
趣味はサッカーと自転車旅。

ピュアカナダ留学センターが生まれたストーリー

ピュアカナダ留学センターは1999年9月9日9時9分9秒に産声を上げました(本当の話!)。

私がピュアカナダ留学センターという会社を作ったのは、小さな出会いからでした。
私が初めて海外に出たのは1995年5月、大学を卒業した直後の22歳でした。将来への夢もなく、ただ『今の自分を変えたい』という気持ちを持ってカナダに飛び立ちました。

自分の中でのカナダでの目標は
・英語をペラペラになる
・自分のサッカーチームを作る
・ログハウスの作り方を覚える
・カナダを横断する
の4つ。
行き先ははバンクーバー。

私の人生で大きな意味を持つ最初の3日間

実は私は何も知らなかったのです。
当時、留学センターというものがこの世に存在している事を。

携帯電話も、インターネットも、まだ存在していなかった時代・・・
だから【学校を留学前に決めていく】とか、【ホームステイ先を決める】なんてことは、全く考えの中にありませんでした。
何も決めることなく、荷物を持ち、飛行機に乗り、カナダの大地を踏みしめました。
初日の夜だけ、母親が予約してくれたホテルに滞在。
それ以外は全く白紙のまま、1年間がスタートしました。

知り合いもいない
泊まるところもない
英語力もない(ハイパー初級(恥)でした・・・)
もちろん、学校もない

それから2日後に人生を変える出会いがあるなんて想像もせず、ただその日は緊張で疲れた身体を、母親が予約してくれたホテルのベッドに横たえて眠りました。

翌朝、ホテルをチェックアウトすると、イキナリ行き場を失いました・・・
ホテルは1泊だけ、あとはすべての予定が白紙です。
バスは乗り方が分からないので、思わずタクシーに乗り込んで『しまった』と思いました・・・乗った後で『どこに行こう?』と悩む始末。。。
とにかく泊まる場所がないので『ユースホステル』とだけ告げました。
でも英語力が”赤ちゃん並み”で通じません。
【ユースホステーール】
【ユーソホステール】
【ユースホーーステル】
何度言っても結局通じず、タクシーの中で辞書を引き、紙に書きました。
【Youth Hostel】。
通じました。
一安心して海岸線を通り、無事にユースホステルへ!

情けない自分、泣きました・・・

でっかい荷物を持ってユースホステルに到着。
やっとの思いでチェックイン。
ただすぐに気づきました。英語が話せない。誰も知らない。ここがどこかも分からない。
位置さえも分からないのです・・・
Google mapなんてないので、自分の場所が分からない、周囲に何もない環境、
孤独・ロンリーでした。

カナダはめちゃめちゃ広い。
よほどの街中でない限り広場があります。
私は日本から新品のサッカーボールを持参、そこでカナダ2日目は1人寂しくサッカーをしたり、公園のベンチで昼寝をしたりしました。(寂しい・・・)

カナダ3日目、時差ぼけもあり、朝4時くらいに目が覚めました。
人が周りにいても英語が話せない、誰も知らない、何も分からない
こんな寂しさから、1人で海辺を歩きながら涙しました(情けないけれど本当)。
海辺を歩き、そのままユースホステルの前にある公園のベンチで再び昼寝・・・
情けない自分に【何のためにカナダに来たんだ?自分は何をウジウジしているんだ?ベンチで寝たまま1年を過ごすのか?】と問いかけながら半日をやっぱりベンチで過ごしました。

本当に小さなチャレンジ !でもその小さな一歩が全てをスタートさせることだってある

【ダメだ、このままじゃ】
心の中で、あまりに情けない自分に”喝”を入れる【元気な自分】が奮い立ってきました。
(奮い立つまでに丸々3日もかかったところが情けないのですが・・・)
既に夕方になっていました。
あまりに情けなくて、自分が心の崖っぷち(カナダに到着して3日目で早くもいっぱいいっぱい・・・)であることを自覚していました。
自分はスタートラインどころか、マイナス地点に立っていることを自覚していました。。。
公園での長―――――い時間を経て、
【このままではあかん、よし、とにかく誰かに声をかけてみよう】と決心しました。
そして
【声をかけるとき、なんて言えばいいんだろう?】
と疑問に思い、辞書で引いた言葉が【Excuse Me】でした。
この日まで、私は【Excuse me】を知りませんでした・・・(大恥)

公園は家族連ればかりだったので、声をかける勇気が沸かず(本当に根性なし・・・)ユースホステルの前の誰もいない道で【よし、この道を歩いてきた3番目の人に声をかけるぞ、絶対だ、絶対だ、絶対にかけるぞーーー】と決めました。
本当に決めました。
あまりに自分が惨めで、情けなくて、”どん底に落ちたら、あとは這い上がるだけ”という気持ちでした。
1人目・・・・・・2人目・・・・・・
3人目は犬の散歩をさせているポチャッとした初老のおじさんでした。

【本当に本当に決心したんだろっ、俺っ】と奮い立たせ、
意を決して、おじさんに駆け寄りました。
彼は私に驚く様子もなく、嫌がる素振りもなく、立ち止まってくれました。
【エ、エクスキューズミーー、ハローハローアイアム、・・・ジュンジ。ジャパン。スチューデント。スピーク・・・】などと、単語を並べ、とにかく必死で話しました。
彼はわけの分からない異国の若者の言葉にやさしく耳を傾けてくれました。
動物は好きなので、犬に時に助けを求めながら必死で話しました。

自分が日本から来た事。
英語が話せないが、自分を変えるためにカナダに来た事。
3日前に到着した事。
サッカーが好きであること。
今はユースホステルに泊まっていること。
初海外であること。
など、
文字とジェスチャーを交えながら、必死に伝えました。

ログハウスが好きだったので、【ログハウス】【ログ、ログッ、ロッグ、ゥロッグ】といろいろ発音しましたが、結局通じず、絵を描きました。【Oh~~、Log】とやっと理解してくれました!
すると彼は【俺の車に乗れ、ログハウスが近くにあるんだ。見に行こう】と言った気がしました。何の迷いもなく彼の車に乗り込み、そしてログハウスを見学しました!

既に夜に差し掛かっていたので、たった数十分の楽しい時間が終わり、お別れをしなければなりませんでした。
もう真っ暗。
彼も用事があるようでした。
彼はものすごくゆ~~~っくりと言葉を選びながら【明日から泊まるところがあるのか?】と聞いてきました。(私にとって、今晩の滞在がユースホステルの最終日)
【NO】と答えると、彼は電話番号と名前を書いてくれて、【明日、電話をしてきなさい】と言い残して去っていきました。彼はWilliam Wood(ウィリアムウッド)という人でした。

ものすごい充実した1日の終わりでした。

この日以来、私のカナダ生活は変った

翌朝、ドキドキしながら、広いカナダでたった1人の知り合いであるウィリアムさんに電話しました。
番号を順番に押しているのに、最後の番号を押す勇気がなかなか出ません。。。
何度も挑戦した挙句、やっと最後の番号まで押しました!
【グッドモーニンッ、ドーユーリメンバーー???】
夜、辞書で調べた文章からTELがスタート・・・
その後、再び彼と会ったのですが、どうやって意思を伝えたのか、はっきり覚えていません。今思えば、TELで少しでも会話できたこと自体がミラクルです。。。

後に彼は”私の初めてのホームステイ先”として受け入れてくれました。
およそ2週間お世話になりました。
その後、私はウィリアムの助けもあって、学校を見つけ、学校に通い、ホームステイも移りました。たくさんの仲間に出会い、英語力も日常会話程度の力を持つ事ができ、本当に満足できる1年間を過ごす事ができました。

私が持っていた目標については・・・・
■【自分のサッカーチームを作る】ことは、チャレンジしましたが、結局プレーヤー4人、マネージャー6人と散々な結果で終わりました。
■【ログハウスの作り方をマスターする】目標は、挑戦する事すらなく、1年が終わりました(恥)。
■【カナダを横断する】と言う目標は、【実現した】と胸を張って言えます。
2番目のホストファミリーから車を購入し(当時のお金で約8万円くらい)、とても素敵な仲間とバンクーバーからプリンスエドワード島まで。そして再びバンクーバーまで戻ると言う1か月半、合計16000キロの【人生最大級の旅】を実現。
車は何度も故障し、熊に襲われ、警察に何度も捕まり(スピード違反など)、通じない英語を必死に使って、多くの方々に助けられ、たくさんの経験とたくさんの出会いを経て貫徹しました。
その他にもたくさんの仲間とスノーボードにはまり、ロッキー旅行にも行き、アメリカにも行き、300人以上の観客の前でパフォーマンスも成功させ、本当に充実した時間を過ごす事ができました。

そしていよいよカナダ生活の終わりに近づいてきたとき、ウィリアムの事をふと思い出しました。
ウィリアムとは最初の2週間お世話になった後、ただの1回も連絡を取ることなく、自分の生活を楽しんでいました。遊びに行く事もなく、電話をする事もなく、手紙を出す事もありませんでした。
身勝手、自分勝手で、大ばか者でした・・・
常に【連絡を取らなくちゃ】と頭の片隅で気になっていた事は事実ですが、いよいよあと1週間で帰国する日を迎えてしまいました。私はあの時ウィリアムが書いてくれたメモをやっと取り出し、後ろめたさを感じながら、電話をしました。
しかし・・・
【引っ越しました】と無情な機械の声が・・・

ウィリアムにどうしても会いたくなり、これまでに一切連絡を取らなかった恩知らずな自分を恥じました。そして必死で彼を探しました。
以前の家に行って【前の住人を知らないか?】と聞いたり、電話会社に行って【この番号の人の新しい連絡先は?】などなど。。。
結果的に、どうやって見つけたか覚えていませんが、やっとの思いで彼の引越し先に辿り着き、2日後に再会する約束をしました。

大きくて、やさしくて、暖かい再会

彼は優しく微笑んで私を新しい家に迎えてくれました。
あの時の犬、Cara(キャーラ)も元気で、私を迎えてくれました。
自然と涙が出てきました。
あのときより少し【マシ】になった私の英語力を使って【今まで連絡しなくてごめん・・・】と言いました。

日本に帰国後、私は更に英語力を磨くためオーストラリアへのワーキングホリデーにもチャレンジしました。
オーストラリアを自転車で旅し、素晴らしい人々に会い、素晴らしい時間を過ごす事ができました。(私のオーストラリアでの出会いはこちら、ユウキページへリンク)
オーストラリアにも本当にたくさんの思い出があり、出会いがあり、オーストラリアは本当に素晴らしい国です。オーストラリア留学を検討中の方には【いい国ですよ!是非行くべきです】といつもお伝えしています。
ただ私は【他のどの国の為でもなく、カナダの為に働きたい】と心に決めていました。
当時は漠然とした理由でしたが、今、振り返ると【カナダの素晴らしい人々、風土、国民性、美しい英語、自然、街、全て】が暖かく私を包んでくれた、私に人生を変える出会いをくれた、このカナダでなければならなかったのだと心のどこかで確信していたのだと思います。

人生を変える程の出会い

帰国後、ウィリアムとはずっと連絡を取り合っていました。
ウィリアムが日本にやってきました。
私は当時、オーストラリア行きの資金を貯めるために旅館でバイトをしていました。
ウィリアムの為に自分でその旅館の部屋を確保し、バイト代から宿泊費を支払いました。
旅館の部屋で、2人で日本酒を酌み交わし、ほろ酔いの彼がこんな話しをしてくれました。
【じゅんじと初めてあった日のことは今でも覚えている。そして帰国直前に連絡をくれた日の喜びを鮮明に覚えている】
彼は続けました。
【じゅんじと出会って、日本の若者のエネルギー、礼儀正しさ、まっすぐな情熱、素直さ、笑顔の全てが新鮮だった。そしてこれまで病院や老人ホームなど健常者でない人たちと働いてきた自分にとって、じゅんじのような若者の為に働く事は人生の喜びだと感じた。帰国前のあの日、じゅんじが私に連絡をくれた時、私の中で大きく何かが変った。じゅんじが私の人生を変えてくれた】
と話してくれました。

涙が溢れました。

私にとって、彼こそが恩人であり、本当に人生を変えるきっかけをくれた人なので、彼がそう話してくれたことに驚き、そして喜びでいっぱいになりました。
そして更に続けました。
【それにしても、あの時のお前の英語はひどかったな―。わっはっは】

今思えば、道端で出会ったのがウィリアムでなければ・・・
全然、話を聞いてくれない人であれば・・・
もし犯罪者や悪い人であれば・・・
私の人生は違っていたかもしれません。
ウィリアムも同意見でした。

そしてこの日、【日本人の留学生に安心で安全で、本人とご家族にとって幸せな、そして人生を変えるきっかけになるような、明るい人生の一歩になる、前向きになれる、ゼロからプラスになれる、ゲラゲラ笑いあえる友に出会える、成長できる、そんな留学のお手伝いをする会社を作ろう】と決心しました。
この後3年間の準備期間を経て、1999年9月9日9時9分9秒にピュアカナダは誕生しました。

ウィリアムの魂と共に

2003年1月24日にピュアカナダの創業パートナーのウィリアム・ウッドは永眠しました。
必死にお客様の為に身を粉にして頑張ってくれたウィリアムに感謝し、冥福を祈ります。
ウィリアムと作り上げてきた【お客様に『ピュアカナダに任せてよかった。私の人生は豊かになりました。ありがとう』といっていただける留学】を目指し、あくなき探究心を持って、今後も取り組んでまいります。ピュアカナダは今もウィリアムの精神を心にしまって、明るくゲラゲラとお客様と話しながら、前進していきます。

あなたがキラキラ輝き、夢を実現する事が
あなたを応援してくれる人までも幸せにする
私のように夢を持たずにいた若僧が、たった一つの出会い、たった一つのやさしさで人生が変りました。

目標を持つ事ができました
夢を見つける事ができました
たくさんの出会いができました
自分に自信を持つ事ができました

ウィリアムに教えてもらった事を、今度は私から多くの方々に伝えたいと思います。
人生はたった一度きり。
あなたが豊かな人生を送りたいと願うなら、あなたの努力できっと叶います。
あなたが幸せになる事で、きっとあなたを応援してくれるみんなが幸せになれます。
明るい笑顔で、前向きに頑張るあなたの姿が、周りの人すら勇気付け、励ますのだと思います。
あなた自身が輝く事からはじめましょう。

私たちは皆、同じ可能性を持って産まれてきました。
私も、あなたも、全ての人が平等に夢をつかむ手を持っています。
そして大地を踏みしめ、そして大きくジャンプができるはず。
あとは、目指すところまで飛んでいける翼を手に入れる大冒険へ!

冒険に出るかどうかは、あなた次第。
ゼロからのスタート。

人生の一瞬を自分の為に描こう
どこへだっていける なにものにだってなれる

この長い文章を最後まで読んでいただいてありがとうございます、
留学は素晴らしい可能性を秘めています。
ピュアカナダは素晴らしいあなたの可能性を引き出すお手伝いをさせていただきます。一緒に素晴らしい人生の第一歩を踏み出しましょう。

ピュアカナダ留学センター
代表 小谷順士

スタッフ紹介

ピュアカナダのスタッフとして“皆様の留学”と“その先の人生”を応援させていただく愛に溢れる弊社自慢のスタッフ。
そして過去に一員として活躍してくれていたメンバーをご紹介します。

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